約1か月半ぶりのダム活です。
お盆の長雨やらワクチンの副反応やら仕事やらで,なかなか出かけられませんでした。
本日訪れたのは,三反田池(場所)
灌漑用アースダム。ダム便覧掲載ダム(ため池)の中では広島県内最東端となります。(あと1キロぐらいで岡山県)
昭和51年改修の記念碑。隣には昭和16年の改修記念碑(撮り忘れた)。最初の築造はいつ?
左岸側の天端には鎖がしてありますが,立入禁止とは書いていないので車止めかな?
まずは洪水吐。先日来の雨のためかわずかに越流中。
放水路は緩やかに下っていき,カーブの先で落差工を経て下流につながります。
結構奥行きのありそうな池。改修を経て大きくなったのでしょう。
網場が設置されています。洪水吐付近は漂流物はないものの水草が生えてきています。
手前の斜樋はオーソドックスなタイプ。奥の小屋のパイプも取水用? だとすれば,奥の小屋の下は急深になっている構造でしょうか。
小屋の反対側に回ってみると,当然扉は閉まっています。。。
あっ!!!
すごいセキュリティだwww(たぶんこの扉の鍵だよね。開けなかったけど。)
堤体は見た目より急斜面。なぜ部分的に草を刈ってあるのか不明。下りてみたけれど,木が生い茂り,維持放流部分は見られず。
堤体下にはコンクリ張りの調整池。三反田池の水が流れ込んでいるわけではなさそう。逆に三反田池の下流に合流していると思われます。
下流には一般廃棄物の処分場あり。積み上げられた廃棄物からの異臭が風と共に吹き上げてきます。こうしてどこかで誰かが引き受けることで我々の生活が成り立っていることを忘れてはいけませんね。
天端の右岸半分は藪化して通れなかったので,車で右岸側に回り込んでみました。
右岸の脇に明治8年に彫られたという堺岩。
この説明を読んでも肝心の「由来」はよく分からなかった。ここからは俺たちの山だ! という「境界」の目印なのか?
江戸から明治には山の恵みを,昭和のころには田畑への水を提供し,そして,今では廃棄物の処理も引き受ける三反田地一体。
天端を飛び回る蜻蛉たちは代々その姿を見てきたことでしょう。
とんぼうや 汝が主なり 三反田