ダム便覧の位置未確認ダムの一つ,「雲田池」探しの続きです。
(前回の記事:雲田池を探して①)
【雲田池消滅?】
ところがです。地図やグーグルの航空写真で探しても,「雲田池」はおろか,雲田地区にため池らしいものが見つかりません。
(出典:国土地理院地図)
上の地図の上部にある池は,星が丘団地を造成したときにつくられた調整池で,農業用ため池ではありません。(地区も中倉地区ですし,等高線からして堤高19mもなさそうです。)
う~む・・・と地図を見ていて,もしや,と思ったのが地区の南~東側の山を渡るようにつくられている広島北JCTです。
ダム便覧では雲田池の竣工は1941年。ここを通る中国自動車道及び広島北JCTは,1983年にできたようです。
雲田池は,高速道路の竣工によって消滅した? という可能性が出てきました。
したがって1941年~1980年ごろの間の国土地理院の航空写真を調べたら,池が見つかるかもしれません。
すると,1962年の画像にありました!
(国土地理院の航空写真に加工)
赤丸のところに池があります!(青は鈴張川)
現在の地図と見比べると・・・
(国土地理院地図に加工)
鈴張川から雲田地区に入る道路の位置からすると,ちょうどJCTの真下ではないかと推定されます。
堤高までは画像から分かりませんが,天端と思しき箇所の長さ(画像の黄色の線)を地図に置き換えて測ると約38mとされ,ダム便覧の40mとほぼ一致します。
(国土地理院撮影の航空写真1975年)
こちらは1975年のカラー写真。水位は低くなっていますが,池ははっきり見えます。ただ,洪水吐は見当たらないので,そんなに貯水量が多くない池だったのかもしれません。また,維持放流は鈴張川へ流入していたと考えられますが,どのような水路だったのか,この画像からは分かりませんでした。
(国土地理院撮影の航空写真2008年)
そしてほぼ現代の様子。池があったのは,ちょうど道路が交差する箇所よりやや北あたりでしょうか。
高速道路は高架ではなく完全に山に載っていますので,池は埋められたか地下調整池になったと考えてよいのではないでしょうか。
…とここまで,地図と航空写真を駆使して推測してきましたが,本当にこれが雲田池だったのか,また,そうだったとしても,水流はどうなったのか。
これはやはり行ってみるしかありません!
というわけで,実地調査編に続きます!